三蟠、六番、九蟠の謎


前職で営業していたとき、旭川東岸の河口付近に、「三蟠」という字(あざ)、
吉井川の西岸の加工付近に「九蟠」という地名、その中間地点には、私の
お昼寝スポットでもあった「六番川水の公園」という名前の公園があって、
岡山には、○○番という地名が沢山あるなぁ・・・とふと思ったことが
ありました。


(ちなみに、昔は、旭東町のあたりから、新岡山港付近まで三蟠鉄道という
軽便鉄道も走っていました。)


何気なく調べてみると、○○番(蟠)の地名は、江戸時代の新田開発の
名残なんだそうです。岡山は、遠浅の海が広がる地域だったため、江戸時代
から昭和の時代にかけて、盛んに干拓が行われました。


旭川河口から吉井川河口付近まで行われた干拓が「沖新田の干拓
沖新田の干拓の地名は、西から東にかけて、一番、三番、四番、五番、六番
七番、九番とつけられました。二番と八番は用水路の名前だそうです。


「三蟠、六番、九蟠」は、きちんと関係していたんですね。
↓ここに地図や解説もあります。
http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/kantaku/A/2-A-12.htm


岡山の干拓について勉強されたい方は、こちらが入り口です。
少しみづらいですが、岡山の歴史=干拓の歴史と言っても過言では
ありません。
http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/kantaku/index.htm