岡山空襲から62年


1945年6月29日午前2時 岡山上空にB29約70機が飛来し、町中に
焼夷弾を投下・・・岡山の町は火の海になりました。


400年の歴史ある城下町は、岡山城天守閣を含め、一晩ですべて焼けてしまい
ました。


岡山の空襲について色々調べたり、人に聞いたりすると、地方都市であるにも
かかわらず、かなり大規模な空襲であったように感じます。今の岡山と比べる
と人口も市街地面積もかなり狭いはずなので、70機ものB29が飛来すると、
市街地全滅はあっという間だったのでは無いかと思います。


空襲の遺構としては、歓楽街の「田町」付近にいくつか残っています。
この辺りは、空襲の激しかった地域だと聞いています。西川にかかる「田町橋」
は、戦前からそのままの姿が残っています。欄干は石造りになっており、
弾の跡が残っています。


ECO不動産の事務所がある東山近辺にもB29はやってきたようで、
玉井宮の鳥居が壊れたり、御成川が熱湯のようになったという逸話も
残っています。


私が育った大阪の河内長野という町は、田舎だったため、機銃掃射があったくらいで、
空襲は、ほとんど無かったと聞いています。
戦争の傷跡が身近に残っている地域に住んだことが無かったため、岡山の市街地で
空襲被害の爪痕を見つけると、色々なことを考えてしまいます。


夜中2時に、突然轟音と共に、爆弾が降ってくるなんて、本当に想像がつきません。


今日は、その空襲からちょうど62年が経ちました。
駅前のデジタルミュージアムでも企画展が開かれています